対馬学フォーラム2017 に参加してきた
久々のブログ投稿です。
1年以上、ブログを更新しておりませんでした。
先日、「あ、ブログ更新してなかったけど、アクセス数どうなってんだろう?」
そう思い、自分のブログのアクセス数を見たところ。。。
更新していない間にも意外と閲覧されていた!!!
びっくり!
だから、これからも気が向いたら少しずつ更新していきたいと思います!
さてさて。
今回の投稿は、研究活動に関するものです。
3週間前の話になります。
12月10日(日)に、対馬で開催された「対馬学フォーラム」のポスター発表に参加してきました。
そして。
ありがたいことに、ポスター発表大会において、努力賞をいただくことができました!!
めっちゃうれしいぜ!いえいっ!!!(^o^)/(^o^)/
ポスター発表大会表彰:対馬を学ぼう〜対馬で研究される方へ:対馬市域学連携ポータルサイト
ではでは、僕の対馬学フォーラムでの発表についてレポートしていきます!
●そもそも「対馬学フォーラム」とは何か?
「対馬学フォーラム」は、学会のようなものなのかなぁ?
ただ、普通の学会は、がっつり研究をしている研究者ばかりが集まる研究者の祭典のようなものなのですが、対馬学フォーラムはそれとは少し違います。
研究者だけでなく、一般の市民の方々に対してオープンなところが普通の学会とは異なる、対馬学フォーラムの大きな特徴だと思います。
「対馬学フォーラム」は、対馬をフィールドに研究する人・活動する人たちがその成果を報告し、島内の人も島外の人も一緒に学びあうための場です。
行われている研究は様々で、ツシマヤマネコや魚類に関する科学的な研究から地域おこしに関する研究、高校生による地域のお年寄りへの聞き書き、、、などなど。
※詳しくは対馬市のHPをご覧ください
対馬学フォーラム2017:対馬を学ぼう〜対馬で研究される方へ:対馬市域学連携ポータルサイト
●その中で桜庭はどんな発表をしたのか?
つまり、がっつり理系、化学系の研究をしておりました。
が、大学院の専攻はなんと「環境社会学」という文型の学問。
この、新しく手にいれた環境社会学という視点・枠組みで、対馬を捉えなおすことを、今年の4月から8ヶ月間やってきました。
ひたすら文献を読み、頭を働かせ、ペンと紙とPCを使って対馬についての研究を進めてきました。
また、調査のために合計3週間ほど、対馬に滞在しました。
そうした中で、僕がたどりついた研究タイトルは、
守るべき「対馬の自然」とは何か
―日常の暮らしの中で構築された「自然とのつきあい方」から考える―
です。
ということでできあがったのが、こちらのポスター。
すこーしだけ、このポスターの内容を紹介します。
【背景】※ここがかなり大事な前提!!
自然環境は単体で成り立つものではなく、社会環境や人びとの暮らしとの関係がなければ成り立ちません。
つまり、自然を守るためには人と自然の関係性に着目する必要があります。
したがって、対馬の人びとが日常の暮らしの中で構築してきた「自然とのつきあい方」を探ることが、対馬で持続的に暮らすためのヒントになるのではないでしょうか?
【この研究で明らかにすること】
①対馬の人びとの「自然とのつきあい方」とはどういうものか?
②「今、対馬に生きる人びと」が持続的に暮らすために守るべき「対馬の自然」とは何か?
つまり、自然を中心に考えるのではなく、人のいとなみを中心に考えるのでもなく、人と自然の関係性に着目して、そこから守るべき「対馬の自然」について考察する、という研究になります。
今回の研究では、昭和20年代以前に対馬に生まれ、育った方々のライフストーリーを聞き取り、その世代の方々の「自然とかかわる日常の暮らし」(ポスター緑色の部分)を明らかにしました。
その結果、
・多用な自然へのはたらきかけがあり、
・物質的な恵みを享受するのはもちろん、
・精神的な価値も享受してきた
そんな暮らしが見えてきました。
ここまではなんとなく分かってもらえることだとは思います。
しかし、人は恵みだけを享受できるわけではありません。
人と自然の間には緊張関係があります。
つまり、自然とかかわること・恵みを享受することには辛い作業や苦しい思い、そして、命の危険すらも伴うということです。
そして、当時の自然とかかわる暮らしにおいては、多用な世代が同じ空間にいた、という特徴があります。
例えば、親が山へ入り、下草刈りや薪を取りに行く際には子供も一緒についていき、手伝いをしたり、遊んだり、というような状況がありました。
こうした「自然とかかわる日常の暮らし」を支えているのが、対馬の人びとが日常の暮らしの中で構築してきた「自然とのつきあい方」(ポスターオレンジの部分)であったと僕は考えます。
「自然とのつきあい方」とは、対馬の人びとの自然を見る目であり、人と人の関係性(つまり社会)でもあり、それらがあったからこそ、対馬の人びとは自然とかかわり続けることができたのではないか、と。
自然を見る目(毎年状況が変わる自然環境に順応する、ロングスパンで自然を捉えるなど)についてはあまり説明せずとも理解してもらえると思います。
今回の研究において大発見であり、重要だと考えたのは、人と人の関係性(つまり社会)のほう。
具体例としてあげたのは、
・じいやん、ばあやん、大人も子どもも(年齢関係なく助け合って暮らす)
・なんかあったら助け合う(緊張関係の中での助け合いの精神)
・なんか来るなら来てみい!(緊張関係はあるけどやるしかない!)
・ぼちぼちやらんね(身体を壊さん程度に頑張りませんか)
自然を見る目があったのはもちろん、こうした社会があったからこそ、自然と関わる日常の暮らしが成り立ってきたのではないでしょうか。
以上、「自然とかかわる日常の暮らし」と「自然とのつきあい方」を踏まえて。
「今、対馬に生きる人びと」が持続的に暮らすために守るべき「対馬の自然」とは何か?
僕は、具体的な自然物というよりは、「自然とのつきあい方」とそれが育まれる場や時間だと考えます。
むむ?「対馬の自然」と言っているのに、自然物じゃない?どういうことだ?
そう思った方もいるのではないでしょうか?
(実際に対馬学フォーラムでもそのような質問をいただきました)
よーく考えてみてください。
対馬の人たちの暮らしは、これまで見てきたように「自然」と「人」とを明確に分けられないような、不可分で密接な関係性の中で成り立ってきました。
僕たちのようなよそ者は、「対馬の自然」と言われたら、ツシマヤマネコを真っ先に思い浮かべるでしょう。
カワウソも一時期話題になりましたので思い浮かべられるのかもしれません。
対馬には固有種もたくさん生息・生育していますよね。
それと、美味しい魚介類をもたらしてくれる豊かな海に、原木しいたけの原木が育まれる広葉樹林。
このように、具体的な自然物を思い浮かべがちです。
だから、対馬の人びとにとっての「対馬の自然」とは、僕たちよそ者が考える「対馬の自然」とは全く別物なのです。
そうした人の暮らしと不可分な自然という前提に基づいて、僕が守るべきだと考える「対馬の自然」は、「自然とのつきあい方」とそれが育まれる場や時間だと考えるのです。
では、具体的にどうすれば、そうした場や時間は守られ、つくられていくのでしょうか。
ポスターの右半面に移ります。
ここに挙げてある具体例はどのような場や時間かと言いますと、
・見えにくく、なくなりかけているかもしれない「自然とのつきあい方」が顕在化する場・時間
→上対馬町比田勝で行われているろうちえんの取り組み
・今でも「自然とのつきあい方」のうち、人と人の関係性の要素が未だに温存されている場・時間
・これから「自然とのつきあい方」が守られ、つくられていくための有効な場・時間
→上県町佐須奈の夏休み子ども寺子屋
ここに挙げた具体例は、既に対馬で実践されている活動です。
つまり、わざわざ新しい活動を起こさずとも、このように既存の活動に新しい意味を見出していくことができるのです。
そして、新たに意味が見出された既存の場や時間が重なり合うことで、対馬の人びとの「自然とのつきあい方」が守られ、育まれていくのではないでしょうか。
・・・はい、というのが僕のポスター発表の概略です。
まだまだ調べなければいけないこと、考えなければいけないことはたくさんありますが、ひとまず現状はこのようになっております。
少しでも興味を持った方、質問がある方、「ちょっと違うんじゃない?」と思った方、いつでもコメントお待ちしてます!!
またぼちぼち、普段の生活もブログに投稿していきたいと思いますので、のぞいてみてください!!
(おまけ☆今回の対馬訪問でごちそうになったおいしいもの!)
いりやきそば!!
地鶏と野菜としいたけの出汁がたまらん~!
甘い味付けも大好きです!!
対馬にいたときによくお世話になっていた農家さんのおうちで、いりやきをはじめたくさんのごちそうをいただきました!
ごちそうさまでした!!